2020-03-31 第201回国会 衆議院 国土交通委員会 第5号
私たちの日常感覚で置きかえれば当たり前だと思うんですね。体育館なんかは二千平米以上のものが結構あると思うんですけれども、二千平米以上のコンビニとか二千平米以上のレストランというのは、私は余り見たことがないんですよね。これが国の法律で二十六年間変わっていないというのが正直不思議であります。
私たちの日常感覚で置きかえれば当たり前だと思うんですね。体育館なんかは二千平米以上のものが結構あると思うんですけれども、二千平米以上のコンビニとか二千平米以上のレストランというのは、私は余り見たことがないんですよね。これが国の法律で二十六年間変わっていないというのが正直不思議であります。
○有田芳生君 ですから、国民の常識、日常感覚に基づいてすっきりと……(発言する者あり)テロ集団だと西田委員が言うように、やはり明言しなければおかしなことになってしまうんですよ。
こうした中、私が感じております裁判員制度の導入の目的といたしましては、有権者の中から選ばれた裁判員が裁判官とともに裁判を行う制度でございまして、国民の司法参加によりまして、国民の皆様が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的とされていると思いますし、そう感じているわけでございます。
私は、裁判員制度にしてもこの検察審査会にしましても、これはやはり、国民の司法参加によって、国民が持っている普通の日常感覚や常識というものをこの司法の過程に反映する、そして同時に、司法に対する国民の理解の増進や信頼の向上を図るというものでつくられたはずでありますけれども、その根本を否定するような発言がなされている。
その際、我々の日常感覚とか文化や宗教などの観点からのみならず、科学的及び論理的観点からも吟味しなければならないわけです。 脳死を人間の死とする科学的ないし論理的根拠があるかどうか、これはもう再検討しなければならない状況になっています。
国会の中で、決算行政監視委員会、初めて質問させていただくことになりましたけれども、この間の決算報告をずっとお伺いしてまいりまして、まさに天文学的な数字の羅列に、私がこれまでよってきた日常感覚はまさに非常に大きく揺れ動いております。
ということは、やはり日常感覚、ふだん着感覚でちゃんと高速に乗ってもらって、いい道路をつくってもらったと言ってもらうことにしていくためには、首都高七百円というとこれはやはり高いなと思いますし、東名、名神でも、各区間、大変長距離を乗ると高いなと感じる人は少なくないと思うんです。
こうした報道が事実であるとすれば、外交官そして組織としての外務省そのものの金銭感覚が私たちの、国民の日常感覚から大きく懸け離れているんではないかと言わざるを得ません。 そこで、外務大臣にお伺いします。
それから、限定列挙するのでしたら、ケアマネジャーがせっかくケアマネジメントを行うにしても、ケアマネジャーの腕の振るいようがないだろうと言いますと少し日常感覚的な表現になろうかと思いますけれども、サービスのアイテムというのは自由にたくさんあった方がいいというふうに私は理解しております。
しかし、国民の日常感覚からすれば、不況は依然として深刻で、ますますおかしくなるのではないかとの不安を払拭し切れないのが実態であります。その上に、兵庫県南部地震が発生して、経済の先行きに対する見通しはますます不透明になりました。 生産動向を見ると持ち直してはいるものの、まだ本格的な増大基調と言える状況ではありません。
だから、これも五万円がいいとか十万円がいいとかいう問題ではございませんけれども、少なくとも我々の日常感覚からいえば五万とか十万という金額を超えるものは国民がチェックできる体制、つまり報告されるというのが当然であろうと私は考えるものでございます。
日本は、まあまあ訴訟をしなくてもというような、戦前はもっと訴訟に対しても違った意味の判断を国民はしておったわけでありますが、なかなかそういうドライな、割り切った日常感覚にまだまだ乏しい。しかしながら、規制緩和待ったなし、こういう格好になりますと、本当に物を思えば思うほど戸惑うのが私の心境です。
○宮澤内閣総理大臣 余り詳しいことは存じませんけれども、今おっしゃいましたことは、我々の今日持っております日常感覚にまさに合っておるのではないか。御指摘のように感じます。
その二つの面が、普通の日常感覚からいいますと、土地を持っている人あるいは株式を持っている人だけが非常に利益を得たという感じが世の中に非常に強いわけであります。したがいまして、そういう意味での不公平感は従来とは違う意味で一つふえているということがございます。それが一つの変化であります。 それからもう一つは、財政事情がある程度好転しているということであります。
そういう日常感覚の中でこの技術をどうみんなが受けとめて、どう育てていきたいか、それは最初に申し上げた未来社会をどう考えるかということと結びつくと思うのですけれども、そういう議論、専門家の中だけではない議論、そういうものも割合大事な分野ではないかというふうに思っています。
非常にこれは日常感覚的な設問ですが、この点はどうしても胸に落ちない。これを最後の質問にしたいと思うんです。
○政府委員(松本操君) アセスメントのやり方といたしまして、先ほど私がお答えしましたような一つの原点をおいて、それとの対比でごらんいただければ御理解が早いのではないかという考え方で私どもも作業を進めてまいったわけでございますが、いま先生おっしゃいますように、そのときそのときでいまと比べてどうなるかというふうな資料というもの、これまた、そういう数字の羅列ではなくて、日常感覚的にとらえておられる方が、数字的